エッセイ

2018年7月26日 (木)

7月例会

会場 高崎市中央公民館
時間 15:00~16:20
テーマ サッカー
参加者 OKさん、MTさん、いちじん
OKさん「受難ウィーク」
鼠径ヘルニアの手術で
3泊4日の入院をした。
その週
片側4車線の交差点でエンストした。
JAFを呼んだが来るまでの90分間にしたことは
近くのスーパーに行って
紙に故障車と書き車に貼った。
ミスタードーナツで待っていたら
警察官が2人が車を移動しているので
駆け付けたら
怒鳴られた。
車を買い替えるか思案中。
MTさん「目の輝き」
ワールドカップの日本の試合の経緯。
とくにコロンビア戦でのPKを決めた時の
香川には眼の輝きがあった。
やり遂げようとするときには
眼が輝くことを改めて知った。
いちじん「舞 My TAKASAKI」
 
8月12日に行われる「舞 My TAKASAKI」に参加した経緯。
 

 My TAKASAKI

                              いちじん


 「ねえ、舞 My TAKASAKIを一緒にやってみないかい」と妻に言ってみた。が、妻は直ぐには返事をしなかった。身体を使う舞台だから躊躇していたのだろう。締切日近くになって確認すると「やってみる」と言うので二人で申し込んだ。

 この「舞 My TAKASAKI」とは、高崎バレエスタヂオを主宰している瀬山紀子さん(妹の義姉)が、今年初めて企画した60歳以上の方たち向けのARTの舞台だ。

 8月12日の日曜日が公演(前売り券1800円)で、その一ケ月前にドイツで活躍しているファビアンとアズサ(紀子さんの長女)夫妻が演出に来るという。二人は世界の舞台芸術家であったピナバウシュの舞踊団で知り合って結婚した。ピナバウシュ亡き後、ファビアンは演出家として独立し、アズサは舞踊団にそのまま所属して活躍している。最近、パリの劇場で二週間の舞台の主役を演じた。

数年前、紀子さんからアズサが埼玉のゴールドシアターの面々を蜷川さんに依頼されて演出したので見て欲しいと誘われた。どんな舞台なのか興味があったので高崎市民演劇の仲間を誘って見に行った。高齢者劇団で名の通ったゴールドシアターの人々が全身で生き生きと表現している舞台だった。そのことを思い出して参加を決めたのだ。

昨年の高崎市民演劇の公演が近くなった時、紀子さんから「公演日には予定があって行けないので、ゲネプロを見させてください」との依頼があった。演出の中野さんにその旨連絡を取り、見に来てもらった。高崎市民演劇の第七回目の出し物だった。その頃から紀子さんは今後増加する高齢者の活躍の場を構想していたようだ。

今年の初め、紀子さんから「こんなのをやりたいので、吉井さんの知り合いに薦めてください」と案内のチラシを沢山手渡された。

そんなこともあって、申し込み用のチラシを市民劇団の仲間に配った。仲間に薦めるからには自分も参加しない訳にはいかない。高崎市民演劇に参加するのに参加料はいらないが、舞 My TAKASAKIの参加料は37000円なので覚悟が必要だった。それでも、三人の市民演劇の仲間が入ってくれた。

現在、男女24人で舞台の稽古に取り組んでいる。ファビアンが英語でいろいろな課題を出す。それをアズサが通訳する。課題に対してどのような表現をするのか無い知恵を絞り出して、全身を使ってその動きをしてみる。即興ではいけない。繰り返しできるように練り上げてから、全員の前で発表する。そして、それがファビアンのイメージに適えば取り上げられる。そうでなければそれまでだ。そうして舞台が作り上げられていく。演出家と参加者が全身全霊を使って創り上げる新しい舞台芸術だ。

厳しいことだが毎回が真剣勝負だ。先日の練習後、ファビアンからどうしてこの舞 My TAKASAKIに参加したのか問われた。一人一人が答えた。私は「I want to know Fabian and Azusa Power.」と答えた。二人は笑っていた。実は私の長男とアズサは小・中学校が同じだったのだ。

妻の番になると「初め興味はありませんでした。夫に誘われ参加しましたが、今は楽しくやっています。」と言った。

公演まで三週間を切った。これからはほぼ毎日稽古だ。酷暑の中、平均年齢66歳の人々が信じられないほどの若々しい表現活動に取り組んでいる。

24人のうち、男性は三人で、夫婦は私達一組だ。舞台で燃焼するためこれからの練習に精一杯励みたい。

                    2018・7・26

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年6月28日 (木)

真緋の会 6月例会

会場 高崎中央公民館
時間 14:00~15:40
参加者 OKさん、MTさん、INさん、いちじん
OKさん
「新緑の季節」
山名丘陵の団地に自宅をて手た経緯。
みどり濃き、鳥鳴く地を愛でている。
「人様々」
5ページに及ぶ
衣笠選手、西城秀樹、トップ、ナンバー2、
日大アメフト監督、理事長、
志学館レスリング部監督、学長、
片山晋呉等の
いい加減な行動で世間を騒がせた人々への
苦言。
いちじん
「電子書籍の中の大川先生」
高校3年の時の担任だった大川先生のこと。
ネットで邂逅した先生の竹馬の友、
斎藤さんとのやり取り。
「竹馬の友堀口君」
ブラジルで綿花の仕事をしている
堀口君との同窓会での再会。
「マーちゃん」
斎藤さんが神鋼に勤めていたことから
従兄「マーちゃん」の思い出。
MTさん
「京都旅行」
兄弟の夫婦6人で行った
2泊3泊の京都旅行記。
良かったので来年も京都へ行くとのこと。
INさん
無し。
来月のテーマ
「サッカー」

2018年5月10日 (木)

古稀記念文集の原稿

A4用紙2枚にビッシリ書いた。
高校を卒業してから
現在までのことを俯瞰した内容だ。
幾つかに絞れば良いのだが
出来事の羅列になってしまった。
タイトルに凝った。
『人生は波だ、並だ、涙だ』(おやじギャグ)
私なりに山があり、谷があった。
世間一般から見れば、一教員の平凡な生活だった。
でも、そこには嬉し涙あり、感動の涙があり、
そして絶望の涙もあった。

2018年4月26日 (木)

真緋の会 4月例会

会場 中央公民館3階美術室
時間 14:00~16:00
テーマ オリンピック
参加者 OKさん、INさん、MTさん、いちじん
INさん「告白」
いちじん ①「ムーミンの国からのお客さん」
      ②「3年1組古稀クラス会」(未完)
OKさん①「別れ」
     ②「巣立ち」
MTさん「ピョンチャンオリンピック」
OKさんのお孫さんが雑誌Standardの表紙に
採用された。
この春、青山学院大学に入学し
陸上の200m、400mで活躍が期待されている。
東京オリンピック候補に
なって欲しい人材だ。

Img454

2017年12月21日 (木)

真緋の会 12月例会 忘年会

会場 寿司レストラン美喜仁
時間 18:00~20:20
参加者 OKさん、INさん、MTさん、いちじん
会費男性5000円+α
   女性4000円
OKさんとわたしは熱燗で、女性の二人はウーロン茶で
今年を振り返った。
OKさんは86歳、お孫さんの車での送迎を
あと5年したいそうだ。
陸上で大活躍のお孫さんがオリンピックに
出場できることを期待している。
小諸市主催の文学賞に応募するとのこと(原稿用紙11枚)
タイトルは「我が家族」
そこで本会の1月のタイトルも
「我が家族」とした。
大学は早稲田の法学部とのこと。
話して行くうちに私の叔父と同じ頃
OKさんは早稲田に通っていたことに気付いた。
叔父が残した「自分史」を
OKさんに目を通してもらうことになった。
今年は6人で忘年会ができる訳であったが
仕事が忙しいために退会してしまったIGさん
そして
3月から入会したHRさんは
6月関越自動車道の自動車事故で突然亡くなってしまった。
今年は4人の忘年会になった。
新入会員大募集!

2017年11月16日 (木)

真緋の会 11月例会

時間 19:00~19:30
INさん体調不良で不参加
MTさん他に用事があって不参加
OKさんが来ると思って待っていたが
わたしが連絡していなかったために不参加
11月23日は中央公民館が休みだったので
第3木曜日に変更したのだが
てっきりOKさんに連絡したと思いこんでいた。
いくら待っても
OKさんは来なかった。
そこで
第5木曜日の30日にすることにした。
今回はテーマが無かったので自由題だ。                                           

 いとこ会          

                               いちじん                                                                

 母方のいとこ会は平成元年から始まった。だから今回は29回目だ。始まった時は、メンバーが24人だったが現在は22人になってしまった。毎年1泊2日の旅行に行っている。

今年はわたしたち夫婦が幹事だったので旅行の企画をした。行き先は甲府方面で日程は11月13日(月)・14日(火)にした。昨年は自家用車で長野方面に行ったが、今年は遠いし高齢化して運転もままならないので観光バスを利用することにした。

参加希望を取ったところ、12人が参加することになった。不参加の理由は、仕事、病気、夫の介護、娘のハワイでの結婚式、家の改築等であった。

13日は9時30分に高崎駅東口を出発した。玉村インターから関越道に入り、圏央道から中央高速に向かった。八王子ジャンクションは、ウイークデイは混まないと聞いていたのに、手前のトンネルの中で大渋滞になった。ノロノロ運転のバスがトンネルの中ほどに差しかかると右側車線に自衛隊の大型車両と大型ダンプカーの間に小型乗用車が挟まれて潰れていた。まだ、引き離されていない状態だった。そこを過ぎると渋滞は解消した。昼食は大勢が出入りするドライブインで食べた。

その後、昇仙峡に向かった。途中の山道から富士山の姿が見えた。たなびく雲の上に頭を出していたが、逆光なので雪ははっきりと見えなかった。昇仙峡のどこを歩くかは決まっていなかったのでみんなと相談した。登って行って不動の滝を見るより、下りのコースでその滝を見る方が良いということになった。バスはロープウェイ駅近くまで登って行って私たちを下ろした後、下方の駐車場で待機ということになった。

渓谷に沿った道路を降りて行った。下流の方から上って来る人も多かった。不動の滝は豪快に水が流れ落ちていた。渓谷沿いの道は間もなく紅葉回廊になった。紅葉は真っ盛りだった。しばらく歩いて行くと陽が射し始め、紅葉の赤が一段と鮮やかになった。

旅行の準備期間中のこと。従兄のNYさんに旅行の案内を送ったら、日経新聞の切り抜きを送ってきた。石和温泉の近くにある山梨岡神社の詳しい記事だった。山梨県という県名はこの神社に由来するとのこと。そこで旅行社にコースの中にこの神社を入れてもらった。

バスは細い参道の手前で止まった。私たちは200メートル位歩いて山梨岡神社に行った。境内は森閑としていて社務所は閉じていた。社殿で甲府に住む長男家族の家内安全と無病息災を祈った。社殿の横には立派な神楽殿があり、解説板には武田信玄が出陣の際に勝利を祈願して舞を奉納したとあった。池には大きな鯉が悠々と泳いでいた。近所の夫人が食パンを千切って与えていた。

宿は石和温泉街の中央に位置していた。男性五5、女性7人がそれぞれ1部屋ずつに入った。

夕食前に温泉に入った。月曜の夕方だったので客は少なかった。内風呂より露天風呂の方が低温なのでゆっくり入っていられた。いつも入浴中は黙っているのであるが、思い切って隣の人にどこから来たのか聞いてみた。何と高崎から来たという。急に親近感が湧いて長話をしてしまった。石原町の老人ホームの慰安旅行でその付き添いで来ているとのことだった。自分がいとこ会で来たと話したところ、その話を聴いていた他の男性が私たちもいとこ会で来たという。富士宮から来たそうで11人の予定だったが、体調を崩した人がいて9人で来ているとのこと。そのいとこ会は4年に1度だと言っていた。袖振り合うも他生の縁というが、一緒に温泉に入るのも他生の縁と言ったところだ。

宴会が佳境に入った頃、携帯が鳴った。甲府に住む長男が旅館近くに来たというので玄関で落ちあい宴会場に案内した。長男は約束通り、紅白のワインを持って来た。それは長男が務める山梨大学で醸成したワインだった。挨拶した後、長男は十人のいとこたちに飲み物を注いで回った。なかなかいとこたちと会う機会が無かったので良い交流の場となった。

二次会は男性部屋に4人の女性が来た。ワインを飲みながら打ち解けた話し合いが深夜まで続いた。2本のワインは空になった。

次の日の早朝、ホテルの7階にあるワイン風呂に入ってみた。赤紫のワイン色をしていたがアルコールの臭いは少しもしなかった。赤ワインのアルコールを抜いたエキスを入れているとホテルの従業員が言っていた。

ホテルの玄関前で恒例の記念写真を撮った。8時45分にホテルを出てから漬物屋とワインワイナリーに寄った後、目的のリニアカーの博物館を訪ねた。

人気があると見えてドキドキリニア館内はごった返していた。小さな小学生も大勢で見学に来ていた。山梨から名古屋まで実用化するのが2027年だそうだ。10年後に乗れるように健康でいたいものだ。

試験運転のリニアカーが通過するというアナウンサーの声に促されて2階のデッキに出た。時速500キロメートルの列車が目の前を通過した。一瞬だった。それをスマホの動画で撮った。10分後に逆方向に走った時はカメラの連射で撮った。帰宅後ネットで調べたところ、時速500キロメートルは旅客機が離陸して高度3000メートルに達する時の上昇速度だった。飛行機に乗った時に何度も体感していたのだった。

リニア館を出て、木造橋で有名な猿橋の直ぐ側の店で蕎麦を食べた後、一路高崎に向かった。予定通り3時45分に到着し、無事幹事の仕事を終えた。         

                        2017・11・16

2017年10月26日 (木)

真緋の会 10月例会

テーマ 動物
参加者 2人
いちじん

シノリガモ

                             吉井一仁

 群馬野鳥の会のHPに海鳥でしかも冬鳥のシノリガモが私のよく行く井野川の支流の染谷川にいるとの情報が真夏の8月14日に載った。

 16日、自転車で染谷川の下流から上流に向かってシノリガモを捜しに行った。雨が止んで間もなくだったので、暗くて水は濁っていた。関越道の少し手前の橋の下にシノリガモを見つけた。しばらく休んだ後、上流に向かって泳ぎ始めた。川沿いの岸に上がって飛んだが、10メートル位で着水してしまった。

よく観察すると左羽に異常があって、長距離は飛べないようであった。もしかしたら、猛禽類に追われて逃げ回っている時何かにぶつかって傷ついたのかもしれない。

それからしばらくの間、シノリガモは染谷川に滞在した。急流の中を数十秒潜っていることがたびたび見られた。魚を咥えたのを見ることは無かった。石に着いた川藻類を食べているようだった。

ずっと染谷川にいると思っていたが、8月29日を最後にシノリガモの姿を見ることはできなくなった。下流に下って行ったのか、北方へ飛んで行ったのかは不明だ。

夕方6時40分からNHKテレビは群馬県の番組になる。その番組の最後の「好きです。群馬」では視聴者の投稿した写真やビデオが放映される。今までに、「メジロ」と「カルガモ」の写真が採用されたので、シノリガモを投稿することにした。最初に撮った日のシノリガモを送ったが、採用されなかった。暗い橋の下で水も濁っていたので地味だったからか。

8月17日は、晴れていて水もきれいだった。その日に撮ったシノリガモを再度NHK前橋に送った。8月21日の午前中、前橋放送局のアナウンサーの源田さんから電話がかかってきた。今夕、シノリガモが放映されるとの連絡だった。源田さんから写真についての質問があり、いろいろ答えた。妻が染谷川に来たシノリガモだから、ソメッシーと名付けたと話したら、放映の時そのことが紹介された。放映後、シノリガモの写真を見たという電話が掛かってきたが、最初のメジロの時よりかけてきた人は少なかった。

 群馬野鳥の会の「群馬県鳥類目録」を見ると、シノリガモが群馬県で観察されたのは5回だった。ほとんど冬期で夏期は1回だけで、それは1998年7月20日、水上町の奥利根湖上流であった。メスと幼鳥2羽とのこと。夏期に見られたのは二回目だったのだ。

 わたしがシノリガモを初めて見たのは八年前の初冬だった。洋上大学の仲間で北茨城方面に1泊2日の旅行に行った。岡倉天心が海岸の絶壁に建てた六角堂を見るために石段を下りて行った時、荒波の中に十数羽のシノリガモが見えた。仲間は六角堂を見に行ったが、わたしは望遠カメラを構えてシャッターを押し続けた。下の方に降りるとシノリガモが見えなくなってしまうからだ。しばらくすると見学を終えた仲間たちが石段を登って来た。わたしには六角堂を見る時間が残されていなかった。

 その次の年に3・11の大震災の大津波が東北地方を襲い、六角堂も破壊されてしまった。最近、六角堂は再建されたが、明治期に建てられたオリジナルの六角堂の中を見学することは叶わなくなってしまった。

 2回目にシノリガモを見たのは、2014年7月、カナディアンロッキーに行った時だった。ガイドの田中さんに連れられて氷河の残るトレイルを歩いて下のオハラレイク湖に降りて来た時だった。1羽のカモが湖上に飛んで来て着水した。広い湖なのに私たちが歩いている近くだった。何とシノリガモの夏羽のオスだった。慌てて望遠カメラを用意してシャッターを切った。バックに雪の残る山を入れて撮ろうとした時、シノリガモが立ち上がって伸びをして羽ばたきをした。心に残る一瞬をカメラに残すことができた。その画像は今もわたしのパソコンの表紙画像となっている。

 最近、陶芸で皿を作ったが、今まで絵を描いたことが無かったので描くことにした。三枚なので、最初上毛三山にしようとしたが、なかなか皿に収まるデザインにすることができなかった。そこで、この夏の思い出のシノリガモを描くことにした。素焼きした上に絵筆でシノリガモの絵を描いたが、素焼きの表面は水を吸い取りやすいので描きにくかった。どんな風に仕上がるか不安だったが、焼き上がりを見たら予想以上だった。

 この夏のシノリガモの思い出がわたしの心とパン皿に焼き着いた。

                    2017.10.26

Dsc_1398_2

パン皿

Dsc_3300001_2

 

OKさん

タイトル 猫好き

家族がネコ好きで5匹の猫を飼っている。

それぞれの猫たちとの出会いとそれからの生活を

紹介した内容だ。

最年長は15才、血統証付きは

何と26万円とのこと。

餌代も馬鹿にならないし、

糞の掃除も毎日しているとのこと。

猫好きではないわたしには

驚くことばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

2017年2月23日 (木)

真緋の会 2月例会

夕食を食べていたら
Mさんから電話。
「どうしたんですか?」
「?・・・」
今夜は真緋の会だった。
全く抜けていた。
頭が芝居のことばかりで・・・
酒を飲んでいたので
妻に会場の中央公民館まで送ってもらった。
今月のテーマ「小さな幸せ」
今夜、わたしは書かなかったが、
作品は多かった。
 
IGさん
「蘭」
亡夫が残した蘭の手入れについて
「小さなしあわせ」
日常の中のある満足感について
 
OKさん
「同期会」
先月の作品を推敲した2校目。
「満ち足りた日々」
3世代同居の生活の中で
エッセイ書き、健康麻雀、
民話の語り、卓球に取り組み、
車での孫の送迎も受け持っている85歳。
 
「凄い」としか言いようがない。
 
INさん
「有馬温泉」
夫と二人で行った豪華な有馬温泉の
2泊3日の旅の紹介。
岡山倉敷➝大山康晴記念館➝神戸➝
有馬温泉「欽山」➝須磨寺
タクシーを使っての名所めぐりだ。
 
MAさん
「コーラスの楽しさ」
公民館のコーラスに入って15年。
歌詞を覚えるのに苦労するが
意味を理解し
歌えるようになった時の喜びは一入だ。
歌の深みを知り達成できた時の喜びが
更なる深みへ導く。
努力することによって
一段と高い所に行く喜びが
更なる向上心となる。
 
悟らずの世界だ。
 
いちじん
「大きな喜び」を口頭で
1 メジロの写真が2月21日のNHKTV640の「好きです。群馬」で放映された。
 MAさんが見たとのこと。
2 2月18日の朝日新聞Be蘭に
 クラゲ水族館の村山元館長が紹介された。
 水族館に行った時、その村山さんから著書を頂いた経緯を
 話した。
3 2月26日に芝居「幸せもとめて」の公演があるが、
 稽古の成果を舞台で発表したい。
 まだ、残席が80位あるとのこと。
4 湾生回家の映画を見て良かったと話すと
 IGさんが、最近上毛新聞にその映画を見ての感想があったので
 知ったと言った。
 その記事を探してみよう。 
 
3月のテーマ
「これからの国際社会」
 
 
 
 
 

2016年9月15日 (木)

真緋の会 9月例会

会場 高崎中央公民館 和室
時間 19:00~20:20
テーマ 空・川
いちじん「台風と河川」

地球温暖化に依り、世界的に気候が異常になってきている。今年の台風は今までの様相と大変異なっている。発生場所が今までのように赤道近くだけでなく、緯度の高いところであったりする。また、台風の進路が例年と異なっている。東の方へ向かったかと思うとUターンして東に向かい、それから北上したのがあった。

台風十号の異常な大雨は日本各地に河川の氾濫をもたらした。台風十号が岩泉町に及ぼした河川の氾濫は今までにないものだった。想定外と言わざるを得ない増水が高齢者施設を襲い、九人の死者をだした。また、この台風は北海道に大雨を降らせた。南富良野地区は、河川の堤防が崩れ、流れ出た水が広大な農地に被害をもたらした。北海道産の農作物のニンジン、ジャガイモやタマネギの出荷が減り、値上げになるだろうと報じられている。

今まで、台風は北海道には今回のような大雨をもたらさなかった。だから、河川の堤防もそれほど高くなくても良かった。ところが、今回の大雨は堤防を破壊してしまった。今後は大雨にも耐えうる堤防を築かねばならないだろう。北海道は広くて河川も多いから、その対策費は膨大な額になるだろう。

翻ってわが群馬はどうであろうか。利根川は一九九八年九月、大水で前橋の県庁裏の河川敷の駐車場に止めてあった四〇台の車が押し流されてしまった。それ以来、河川敷の駐車場は無くなったので、そのような被害は起こらないであろう。

高崎の烏川は昭和二二年、キャスリン台風により君が代橋下流の右岸の堤防が決壊して、片岡地区に大きな水害が出た。現在は堤防をその時よりも高くはしているが、最近の異常気象による大雨は予想をはるかに上回る水を川に流し込むであろう。今迄、決壊しなかったから大丈夫だという考えは止めて、烏川の上流に大雨が降ったことを想定して、新たな対策を立てる必要があろう。

「天災は忘れたころにやってくる」と言うことわざ(物理学者で文学者の寺田寅彦が言ったとされている)があるが、大雨を想定して今一度群馬の河川の堤防の高さを早急に見直さなければならないと考える。         

                           二〇一六・九・一五

 

MTさん 「青空」
青空で思い出すのは
1番目が空海。
室戸岬で修業中に
空と海を見て空海と名前を付けたと言われている。
2番目は若山牧水。
「白鳥は悲しからずや、空の青、
海のあをにも 染まずただよふ」
白と青の鮮やかさが身に映る。
3番目は石川啄木。
「不来方の お城の草に 寝ころびて 
空に吸われし 十五の心」
これこそ抜けるような青空を思い描く。
友人と3人で月夜野町へブルーベリー狩りに行った。
出かける時は雨だったが
行く途中にいろいろトラブルがあり
予定より遅れた。
目的地に着き
ブルーベリーを詰むころ頃には
青空になった。
友人の一人が
「わたしは晴女なのよ。
晴れて欲しい時はわたしを呼んで・・・」
と言った。
OKさん 「人生最悪の年」
今年で結婚57年目。
妻が心臓弁膜症で
埼玉の病院で手術をした。
入院中に片道60キロ(2時間)を車で通った。
33日目に退院、現在、自宅でリハビリしながら生活している。
この夏、わたしは3回救急車で病院に運ばれた。
胆石が原因だった。
スーパーの駐車場で接触トラブルを2回起してしまった。
酷暑と看病疲れのためだった。
卓球を週7時間、エッセイ書きを月7000字、
民話の語りを週2回、健康麻雀、カラオケ、料理教室、
それに妻のリハビリも加わった。
追記
読後の話し合いで分かったこと
早朝、孫を最寄りの駅まで車で送って行くことも
しているとのこと。
将にスーパー84歳だ。
 

2016年8月25日 (木)

真緋の会 8月例会

テーマ 山の日
IGさん「山の日」
8月11日はお盆の1日前で
土木業を経営していく上で、都合が良くなかった。
12日にしてお盆に繋げた方が良かった。
地元の建設会社では11日から連休にしたところがあるが
仕事が無いのが理由のようだ。
「山の日」の次は「川の日」だろうか。
どうせなら、もう1日前の8月10日にして欲しかった。
その日はわたしの誕生日だから。
いちじん「山の日」
山の日を記念して県庁で行われた
八木原さんの講演会を聴きに行った。
タイトルは「ヒマラヤあれこれ」で
彼の登山経歴だった。
一緒に行った山の仲間を7人も
亡くしたとのこと。
わたしは4回ネパールに行ったが
1回目はジョムソン方面だった。
70歳からムスタンで農業支援をしている近藤さんに
偶然出会った旅だった。
2回目はアンナプルナ方面だったが
途中で妻が腰を痛め
ヘリコプターをチャーターして
カトマンズまで帰って来たことがあった。
保険が適用できたので良かった。
3回目はエベレスト街道だった。
タンボチェの手前で引き返し
4150mのモンラまで登った。
国鳥ダフェを雪が降りしきる中で見たのは
忘れられない。
4回目はランタン渓谷だった。
4550mのキャンジンリまで登った。
半年後、大地震で宿泊したランタン村が
氷河の崩落で壊滅してしまったことがショックだった。
ー続くー
MKさん「イチロー万歳」
メジャー通算3000本安打を達成したイチローの
涙を見て涙が出た。
3000本までの最後の1本はホームランを願ったが
3塁打だった。
3塁のイチローにマリーンズの選手たちが駆け寄り
喜びを分かち合っていた。
その1本がなかなか打てなかったイチローを
周りのメンバーは黙って見守っていた。
そのことをイチローは
「この国は『粋』と言う概念はないが
『察する』という概念はある」と言った。
OKさん「受難の月」
この8月、9日間で3回救急車の世話になった。
1回目は熱中症だった。
中央公民館のパン作り講座で準備をしている時
気持ち悪くなってしまい、
仲間が救急車を呼んでくれてN病院へ運ばれた。
2回目は腹痛で救急車で同じN病院に行った。
また、熱中症と見なされ点滴を受けて
8時頃、帰された。
3回目は2日後
その腹痛が治らないので
近所の病院へ行こうとしていたら意識が遠のき
気が付いたらK病院にいた。
検査の結果は胆石の疑いと診断され、
点滴を受けた。
しかし家庭の事情により
8日目に退院した。
自分で車を運転して帰宅したが
その10分間はことさら長く感じられた。