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2018年10月14日 (日)

友の訃報

高校時代の友
大手敏雄君が亡くなった。
昨夜、友人からメールで報せがあった。
葬儀等については
今朝の新聞の訃報欄に出ている。
今年5月27日、50年振りで高校のクラス会をした。
大手君は出席の予定だったが、
体調が悪く、欠席だった。
古稀クラス会記念文集を作ったので
彼が入院している病院へ持って行った。
それが彼と会話を交わした最後になってしまった。
俳句を
朝日新聞の上毛俳壇によく投稿していた。
彼の俳句を
新聞でもう読むことができなくなってしまった。

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日記」カテゴリの記事

コメント

 大手捨蚕さんの飯塚城址探索記録 良かったなァ‼‥‥‥
迷道院高崎さんの貴重な情報が加わって、本当に面白かった。
 迂生が飯塚村の名主様阿久津家の旧屋敷で暮らしたのは朝鮮戦争の頃でした。
田の字型の間取り、奥の部屋の寝間の西側にも縁側と土間の設え、
居ながらにして西方の坪山の眺められる工夫が有って不思議な洒落た農家でした。
小流れを引き込んだ自然水流の池も在って、
ヨチヨチ歩きの母が転落したのが昭和初期の話。
抑々阿久津家から植原家に代わったのが明治末年頃、屋敷坪数三反余(約1,000坪)。
大正初期に筑地の土塀が土煙を立てて、風の無い穏やかな日に崩れたそうな。
新婚早々の祖母は「すわ火事!」と畑仕事から走り帰った由、
植原モン祖母ちゃんは昨日の如く話して居りました。
その時に江戸期からの武家社会が遂に崩壊した感を持ったとか。
 名主阿久津某は高崎藩五万石騒動で御上と農民との板挟みで心身気苦労し、将又
明治維新以後の経済乗り遅れで追い打ちを被り、
先ずもって気の毒無念の一言であります。
栄枯盛衰は何処も同じ、迂生貝澤村名主高橋家も同様、
家老の娘を嫁によこされそうになり丁重にお断りさせて頂いたり、
息子を婿に入れられたり(これは侍婿様と称されて名主の役目は果たせなかった様子)
経済困難の士族と没落名主の末裔(すえ)の血を受けた為か、
五万石騒動はどうも苦手です。
 ともあれ、
高崎市郷土の歴史家・大手さんの御逝去、実に惜しまれます。同級生だけに残念です。

 送る野辺 死なば十月 中(なか)十日
 落ち栗の 窪地に落ちて 納まりて

  (合掌)     

16日の大手君の葬儀に参列しました。
職場関係の方の次に
高校3年1組の級友として弔辞を
述べさせて頂きました。
「ぶら捨蚕」の思い出の話の中で
高橋君の今回のコメントも紹介させて頂きました。

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