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2018年10月12日 (金)

萩の会

会場 自宅
時間 14:00~16:00
参加者 義母とその友人6人、OKさん、けいこ、いちじん、
プログラム
1 開会の言葉           義母
2 民話の語り            OKさん
  「においの値段」
  「お日さまとお月さまと雷さまの旅」
3 休憩
4 紙芝居               いちじん
  「愛染かつら」
☆      
義母の親しい友人に
来てもらって行った。
折角だから、会に名前を付けようと言うことになった。
①ハイビスカスの会
 義母が好きでよく義母が手入れをしている花
②シクラメンの会
 この夏、狂い咲きして今日も真っ赤な花を咲かせている。
③萩の会
 路地に面した我が家の萩は盛りを過ぎたが、まだたくさん咲いている。
けいこが
萩が良いと言うので「萩の会」と命名した。
それで会場の居間に萩を活けた。

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日光町から来たIMさんに

50代半ばで急死した高校時代の友人HG君の家が

日光町だったので

その場所を確認したところ、
HG君の家族のことをご存知だった。
でも、HG君の母は彼の死後
その土地を売却して
前橋に移転してしまったそうで
その後の住所はご存知なかった。
たまたま萩の会を設定して
来ていただいたIMさんがHG君のことを
知っていたので
久し振りにHG君のことを
思い出すことができた。
HG君の名前は
萩原君だ。
「萩の会」➝「萩原君」
何という奇縁だ。

萩原君の思い出

                          いちじん

昭和46年の正月、萩原君は北大から高崎に帰って来ていたので、私は群大の研究室の新年会に誘った。彼は『ホワイトホース』を差し入れてくれ、学友たちと愉快に飲み明かした。115日、彼と一緒に北海道に行った。1浪の私は3学年だったが、萩原君は3月に北大を卒業してしまうので彼がいる札幌を訪れる最後の機会だったからだ。

その頃はまだ青函連絡船が航行していた。彼は「船酔いする前にウィスキーで酔った方が楽に行けるよ」とアドバイスをしてくれた。調子に乗ってウィスキーを飲んだら、船酔いと酒酔いのダブルパンチで酷い目に遭った。帰りはアルコール類を一切断って乗船したのだった。

彼のアパートから銭湯に行った時、帰りにタオルがコチコチに凍ってしまったのを覚えている。彼と一緒に文学の授業を受けた。夜は彼の従妹の家に行き、夕食をご馳走になったり、酒場に行って踊ったりした。その従妹とは萩原君が亡くなった今でも年賀状のやり取りをしている。

ある日、一人で電車に乗り、小樽の町へ遊びに行った。雪の深い冷たい小樽の町だった。港の見える喫茶店に入って暖かいコーヒーを飲んでいると、紺色の制服制帽姿の集団がドカドカッと入って来た。防衛大の学生たちだった。

その中に見たような人物がいるではないか!高校2年の時、同じクラスだった柔道部のTD君だ。彼らは乗船訓練で小樽に来たとのことだった。精悍な姿のTD君に変わっていた。余りもの奇遇だったのでその時のことは今でも鮮明に思い出せる。彼は、その後しばらくしてから自衛隊の世界から離れたようだ。

文学青年の萩原君だったから文学関係の方面に就職するかと思っていたら、『ユニーほていや』というスーパーに就職した。関西方面では大きな会社らしかった。着実に出世して、横浜に居を構え、加須市にあるユニー(平成7年開店、平成23年閉店)の店長で単身赴任していた時、出社しないので不審に思った部下がアパートに確認に行ったら亡くなっていたとのことだ。彼は父親と同じ心臓の病で早逝してしまった。残念至極だ。

横浜での葬儀にHS君と参列した。奥さんと娘さんには痛ましくて慰めようがなく声も掛けられなかった。

私は10年前から貝沢町に住むようになった。萩原君が高校時代に住んでいた家は隣町の日光町に在った。ある日、高校の卒業アルバムにある彼の旧住所を調べて訪ねてみた。だが、そこは更地になっていた。街中に用事があって自転車でその近くの道を通る時、油絵を描き、詩作が好きだった萩原君の優しい面影を時折思い出すことがある。 

    2018.5 合掌

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コメント

 中学生時代の萩ちゃんの描く絵は独特な画風で黒の輪郭線を好んで使いました。
 ですから直ぐに誰の作品か判ります。
 迂生は自分自身の画風については全く理解して居りませんでした。 
 夏休みの宿題に三歳上の愚兄の赤城山の水彩画を借りて提出しましたが、
己の一年間の作品を羅列して観ると矢張り愚兄の描いた作品は一点だけ趣が異なりました。 
 当時は生徒数が多過ぎて理科の教師が美術を教えるという時代でしたので、
迂生も何処かに油断やいい加減さが有り手抜きをしてしまったのかも知れません。
 半世紀も昔の話、今ともなれば時効でしょうが13歳少年の大きな汚点。
 萩ちゃんの事を思う時、 何時も反省させられます。
 叶わぬ話ですが いちじんさんと萩ちゃんと迂生と三人で飲むほどに酔うほどに、
北の大地の炉辺の夜話なんて、 イイねえ。 
 マンモス教育世代、プレハブ校舎、風の教室、萩ちゃんの暗示めいた何気ないある日の一言 『秀ちゃんは文章を書くといいよ!』                              (漱石の吾輩ハ猫でアルならぬ吾輩は下戸であるより)

高橋さんといちじんとで萩ちゃんの思い出を語る日なら、
叶うでしょう。
近々お会いしましょう。

 いちじんさん、御誘い有り難う御座います‥ 
何時か何処かでウーロン茶で乾杯を(!?)
 序でに、小樽の夜の同窓生、柔道部TD君の事ですが、
彼は防衛大学でも柔道に打ち込んで、打ち込み過ぎて、
肘関節を傷めてしまわれたようです。
防大卒後は三尉(少尉)に任官し陸・海・空に別れて久留米・江田島・三重等の
幹部候補生学校に入り、
更に訓練を重ねて練度を高めて行くのですが、肘の故障の為基本中の基礎の
匍匐前進(5種類の形)が出来ず、
涙を呑んで国防の道を断念したそうです。
 高校時代のひと夏の柔道合宿、迂生はTD君の胸を借りて汗を流しました。
彼は初心者・力量下位の者には優しく接し、乱暴な技は仕掛けて来ません。
少年ながら紳士的な穏やかな御人柄でした。
長い脚を使った『内股』と云う技が得意で、よく投げられましたなァ。
 丁度その頃、迂生は自分自身の右肺尖部の異常を自覚し、
格闘技から遠ざかりました。肺のペコペコ感が有るのです。
この弱点がその後の東京苦学生時代の自然気胸に繋がるのかも知れません。
大学中退・離職・療養、青春時代の大きな挫折、
忌まわしくも懐かしき哉、吾がスポンタ(気胸)。
今でも手を長く伸ばして力んでガラス磨きなどする時にペコペコ感が有ります。
 奇しくも、本日14日は埼玉県朝霞駐屯地にて陸上自衛隊観閲式開催日。
幻の自衛官高級幹部TD君の老後、いちじんさんの三脚転落後遺症に幸あれ!
               (漱石の吾輩ハ猫デアルならぬ、吾が肺はペコであるより)

 

TD君の詳しい消息をありがとうございます。
TD君は気の優しい大男でしたね。
TD君は東京で暮らしているので会う機会がありません。
明日、CTの画像を見てもらって、治療方針を立ててもらうつもりです。
今になって、むち打ち症状が少し出てきました。
早目に首の痛みが引くと良いのですが・・・
               (吾輩は一塵であるより)

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