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2015年6月 7日 (日)

ランタン村の惨状

山崎 裕晶さんの5月3日のFBに

飛行機から撮ったランタン村の様子が

アップされていた。

ほとんど雪崩と崖崩れで

埋まってしまったようだ。

画像のコピー

以下山崎さんの文章のコピー

大阪市大隊でランタンリ初登頂を目指していた知人(武部)が本日無事帰国しました。

BCをランタン氷河最奥部5256mに建設、

C1(5500m)へ荷上げを八割済ませ

ティルマンのコルまで先頭でルート工作し

クライミング資材をデポ完了という状況で地震にあったとのこと。

25日当日は全員BCレストだったことで、

生きて帰ってきてくれる...ことが出来ました。

以下、『』内は武部報告です。

『11時56分突然タテ揺れを感じ長く横揺れが続きましたら、

12時10分過ぎにランタン・リ頂上付近から大雪崩。

BCは大爆風でダイニングテントとキッチンテントが飛ばされました。

隊員シェルパ全員無事。

C1を望遠レンズで見ますと4張中2張しが確認できませんでした。

たまたまのBCレストが幸いしました。

すぐに登山中止と和田城志隊長の判断で衛星電話から救援要請しまして、

27日にヘリが来て

(エージェントが現在ネパールナンバー1のセブンサミット社でヘリを2機所有)

キャンジンまで戻りました。』

『キャンジンもロッジのほとんどとゴンパやチーズ工場が廃墟に。』

ランタン谷~ゴザインクンドをトレッキングした際、

ここからポニーに乗ってランシサカルカ方面に向かったことを思い出します。

キャンジンゴンパは壊滅です。

『ランタン・リ頂上は崩落して

端正な三角形頂上がぼこぼこの台形状のピークに変わってました。』

ランタンリルンに続く大阪市大執念の山でした。

恐ろしい状況です。

私の冬壁のザイルパートナーだった大谷大の多賀さんも

ランタンリルンの山頂に立っており、

報告をくれた武部も冬壁のザイルパートナーでした。

何故か僕の相棒はランタンに関係が深く、

僕自身もランタン谷に入って以来、縁を感じる山域です。

『28日キャンジンからドンチェへヘリ移送され、

軍のコントロール下に入りその日の夕方軍用ヘリでカトマンズへ戻りました。

途中空からランタン村を見て呆然、

あの村が消えていました。

300名がまだ土砂下に埋もれています。

オーマイゴッド。オールフィニッシュ。』

泣...村が栄えて、

毎シーズンどこかにトンカチと新築の家やロッジが出来ていたランラン村。

岡山の牧場が技術指導したチーズ工場もあった...

この写真を見た瞬間、

鉛の玉を飲み込んで床にズシンと沈み込むような感覚...

『カトマンズは大きな建物が倒壊、

ほとんどのホテルやレストランが営業閉鎖で

私たちはエージェントのあるカパン地区の社有地に避難テント暮らしでした。

中心部のターメル地区の古い建物や旧王宮の世界遺産のほとんどが壊滅。

1日の中国南方航空ナイトフライト便に空きがあり

この便にて広州トランジットで2日の昨日関空に帰りました。

順調に登山を進めていましたが地震後「無事に全員逃げ出すことを」第一に行動。

ラッキーの連続で脱出劇は終えました。

生きてるのが奇跡のようです。

とりあえずご報告まで写真数枚添付しておきます。

外国人はまだ多く脱出できていません。

今は早く地震復興の邪魔にならないことが大事なことかなと思います。』

今回の震源はカトマンヅ北西のラムジュン。

カトマンヅよりも山間部の被害が大きくなっている。

これから出来ること、してはいけないことをよく見極めて、

ある程度目処がつき次第、助けに行かなければ。力にならなければ!

この土砂の下にランタン村が・・・

2014年11月9日朝

このランタン村を出発した。

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