2021年9月12日 (日)

琵琶歌『義人元治郎』を聴く会

2021年9月12日

琵琶歌『義人元治郎』を聴く会

奏者   久保川華水 錦心流

日時   2021年10月23日 15:00~

会場   圓福寺

会費   1000円

定員   30人

チラシです。

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2020年12月17日 (木)

告別式

12月16日

萩原さんの告別式に参列した。

コロナ禍のため、弔辞は『非戦の会』の中島昇太郎さんが

代表で捧げた。

私は用意した弔辞を息子さんに渡した。

その弔辞は萩原さんの傍に置かれた。

そして、萩原さんと共に天空に消えた。

弔辞人間のその弔辞です。

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2020年12月15日 (火)

お別れ

12月15日

萩原さんの通夜式に参列した。

お元気だった頃の写真を5枚白ボール紙に貼って

持って行った。

葬儀場の方が一番右の方に設置してくれた。

焼香した後、お別れをした。

88歳、安らかなお顔だった。

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『真緋』第6号完成

12月15日

高崎中央公民館のエッセイサークル『真緋の会』(あけのかい)で

会誌6号が完成した。

今回は会員3人で作った。

1人ほぼ70ページで230ページの冊子になった。

編集と表紙を受け持ったので嬉しさも一入だ。

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表紙の原画

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2020年12月14日 (月)

諸行無常

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12月13日朝、安中のYさんから

「萩原慧さんが昨日、お亡くなりになられました」という

電話があった。

11月27日に倒れられ、高崎総合医療センターに緊急入院されていたのだった。

コロナ禍でお見舞いにも行けなかった。

11月1日、『高崎五万石騒動を語り継ぐ会』の

『箕郷・榛東の紅葉狩り』に元気に参加されていたので

こんな事態になるとは思いも寄らなかった。

残念でならない。

萩原さんは『高崎五万石騒動研究会』の立ち上げから参加され

研究会の中心的な研究者だった。

東京教育大学在学中から『高崎五万石騒動』を

研究テーマにされたとのこと。

『高崎五万石騒動』は萩原さんのライフワークの1つだった。

また、安中の非戦を訴え続けた牧師『柏木義円』の研究家でもあった。

義円を偲ぶ『桜椿祭』を主催されていた。

今年は準備万端整っていたが、コロナ禍のため

中止せざるを得なかった。

通夜式 12月15日

告別式 12月16日

コロナ禍のため家族葬とのことであったが、

15日の新聞のお悔やみ欄にはそのことは明記されていませんでした。

画像は2016年5月5日

高崎五万石騒動の関わりのあった神社や寺巡りを

萩原さんと二人で行った。

3人の大惣代の1人『高井喜三郎』の墓地で。

 

 

 

2020年11月24日 (火)

友の旅立ち

11月21日 YT君が逝去。

      23日 通夜式。

      24日 告別式。弔辞で最後に「しばらくの分かれです」と言った。

11月22日 IT君が逝去。

      25日 通夜式。

      26日 告別式。

何ということだ。

YT君の23日の通夜でIT君の逝去を知った。

何ということだ。

二人ともまだ誕生日が来ないので71歳だった。

何ということだ。

 

 

再掲

1年以上、書かなかったのであるが

先日友人から要請があったので

記録として最小限を書くことにした。

画像は11月22日玉村町に行った時のもの。

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冬桜が咲いていた。

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2019年4月23日 (火)

友の旅立ち

4月20日、高校時代のクラスメイトがまた一人

旅立った。

高1、高2、高3と同じクラスで

1年前行った3年1組古稀同窓会に参加してくれた。

慶応大から三菱重工業に就職して活躍した優秀な人物だった。

結婚して東京に所帯を持ったので、高崎には実家の管理のためによく来ていたようだ。

4月24日、11:00から江東区のお寺で葬儀がある。

行くことにした。

ホオジロの囀りが好きだった。

 

 

 

 

2019年4月 5日 (金)

あわや大惨事

4月5日の8:10頃、上信越自動車道を小諸に向かって

走っていた。小諸トンネルに入ってもう直ぐ出口と思って左車線を走っていた。

前方に何やら人影、事故っぽい、右の追い越し車線に入ろうとしたが

トラックが走っていたので入れない。

急停車!

後ろから来た車が止まり切れず私の車にゴッツン!

殆んど衝撃は無かったが、鈍い音がした。

妻は暗くて何が何だかわからず、何か踏んだのかと思ったとのこと。

前方の事故は薄暗くてよく分からない。

追突した車がバックして発進したので事故車の前方に行って待っているのかと思って

直ぐに車を走らせて事故の前方へ車を移動させた。

事故車は逆さまになっていた。

その向こうに車が止まっていたので「私の車に追突した車ですか」と問うと違うという。

追突した車は走り去っていた。

救急車もパトカーもまだ来ない状態の中での出来事だった。

高速から降りて車の後ろを見たら

後のバンパーの上が少しへこんでいた。

ぶつかった車の塗料(赤っぽい)がわたしの車に着いていた。

小諸警察に電話すると高速自動車道の警察の電話番号を教えてくれた。

小諸のインターで待っていると高速自動車道の警官(2人)がきた。

二人は追突事故に関する事情聴取を行った。

どんな車だった?運転者は男か?

薄暗くてあっと言う間の出来事だったので

ほとんど覚えていない。

そして、その時までに小諸トンネル内で追突したという申し出はないとのこと。

それにしてもトンネルの出口付近で

どうして車が逆さまになってしまったのだろうか?

死亡事故にならなかったのがせめてもの慰めだ。

 

 

 

 

2019年3月24日 (日)

怒涛の2月~3月

怒涛の2月~3月
2月16日 高崎五万石騒動150周年記念行事 高崎経済大学 2号館 事務局長 進行担当
      参加者400人あまり
2月24日 高崎市民演劇「今、輝くのよ私たち」公演 箕郷文化会館 芥川寅之助役
      参加者500人あまり
      妻「高崎ダンスフェスティバル」出場 高崎音楽センター ベストパフォーマー賞に輝く
3月 3日 高崎高校の友人 熊野卓司君の告別式 本町プリエッセ 弔辞を読む
3月 9日 ティータイムコンサート まーやの家 主催する
      参加者53人
3月17日 佐野中学校昭和38年度卒古稀同窓会 エテルナ 幹事長挨拶
      参加者53人 (恩師2人 同窓生51人) 
3月23日 高崎五万石騒動150周年記念行事実行委員会 最終の会議 高崎中央公民館
      佐野中の友人 堀口克己君の父上の告別式 下之城プリエッセ
      古稀同窓会幹事会 ジョイフル
ということでアップできなかった。
しばらくぶりに開いたら
書き方が大幅に改変されてしまっていた。
表示が変わったので書くのに
戸惑った。

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